ほぼ日刊、SEED君のひとりごと

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No.310 努力の定義と身につけ方

2017/05/20

誤解をおそれずあえて言うと、僕は努力ができる人とできない人がいると思っています。
当然これは「努力する」という才能がある人と無い人がいるというようなことを言いたいのではありません。
ただ、「努力する」とは何かを知っている人と知らない人がいて、知っている人は何にでも努力ができるという意味です。
「膨大な時間とエネルギーを成功するか分からない事象につぎ込み続けると、ある時点で大きなブレイクスルーが起こる。その現象を後から振り返ったときの一連の過程こそが『努力』と形容されるものである。」
これが僕の中の「努力」の定義です。
一度でもこうした成功体験をした事があると、別の分野でも同じように「膨大な時間とエネルギーを成功するか分からない事象につぎ込み続ける」ことが可能になります。
それをやれば、結果が伴うことを知っているから。
しかし、一度でもそういう経験が無い人には絶対にそんなことはできません。
膨大なコストをつぎ込むことで何かを手にするという経験が無い人にとっては、いつ終わるかを教えてもらえずひたすらにトラックを走らされ続けているのと同じだからです。
それまでにこうしたやりかたで結果を出した経験が無い人にとっては、「膨大な時間とエネルギーを成功するか分からない事象につぎ込み続ける」ことは「投資」ではなく「無駄」なのです。
では、どうやって最初の「成功経験」を手に入れるのか?
何かで「膨大な時間とエネルギーを成功するか分からない事象につぎ込み続ける」ことにより結果を得たことがなければ別のことで「努力する」ことは不可能であるというのが僕の持論なのですが、最初の「成功体験」は「努力」では作れません。
こんな風にいうと禅問答みたいに思われるかもしれませんが、決して言葉遊びで丸く治めようとしているわけではないので、もう少しお付き合い下さい。
最初の成功体験は「努力する」以外のところで作るべきである。
これが僕の回答です。
具体的には圧倒的にのめり込めるものを見つけてそこで成果をだす、もしくはある程度強制されて無理やり結果を手に入れるなど。
好きなものにとことん没頭して寝食を忘れて打ち込むうちに成果が出たというのも、幼いころに周りに言われてとりあえずやっていたことで結果がでたというのも、構造的に「膨大な時間とエネルギーを成功するか分からない事象につぎ込み続ける」ことを満たしています。
つまり、いずれかのやり方で結果を出した経験さえもっていれば、ひとまずはその好意が自分の獲得せんとしている結末を手にするための有効な手段であることが理解できているということです。
その経験があれば、今度は意図的に「努力する」ことができるようになる。
もちろんそれぞれの考え方があると思いますが、僕は努力とは「やる気」という曖昧なもので引き出すものでもなければ、本人の心がけ次第である日突然目覚めるものでもないと思っています。
あくまで「知っているからできる」もの。
まだ勉強において「努力する」ことが必要なタイミングに差し掛かっていないひとであれば、今から何かに「没頭する」あるいは「強制される」のもいいと思います。
或いは、これまでに成功体験がないままに受験を迎え、直近で努力が必要になっている人は、今の勉強を自分にとっての最初の成功体験にすればいいと思います。
確かなことは、努力が結果を得るための最優良の手段であることと、案外この選択肢を持っている人が少ないということです。
「努力する」ことは、一生モノの役立つスキルなので、折角ならこのタイミングで身に付けてしまいませんか?
僕たちはそのためのお手伝いを、精一杯させてもらう準備はできていますよ!