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ほぼ日刊、SEED君のひとりごと

京都府西京区阪急桂駅前の学習塾、シードゼミのブログです。Facebookで更新しているコラムを転載しております。

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小説を読むときは、主人公になりきらない!?

【正しい小説文の読み方を知ろう】

2016/10/27

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「お前のその『おかみさん』はどんな家の大きさを想定して言ってんだ。長屋に住んでいるのと大きな家のとじゃあ声の張り方が全然違うじゃねえか」
落語家の立川志の輔さんが、師匠談志から芸を教わったときのエピソードとしてこう言っていました。
落語家さんは言葉で物語の世界を伝えるプロ。
その大師匠の言った「どんな空間を想像しているのか」と言う言葉は、示唆に富んでいます。
僕は普段、国語の授業をするときに、言葉から頭の中にしっかりと内容を想像しろという話をします。
小説であるのなら登場人物たちはどこにいるのか、話している登場人物たちは向き合っているのか横になっているのかなど。
評論文であれば筆者は何を伝えるために今読んでいる文を書いているのかといったことです。
たとえば、中学一年生で習う「少年の日の思い出」の中で主人公がエーミールの家に忍び込んで蝶の展翅を盗み出して階段を下りるシーンがあります。
この場面、どこまで想像できますか?
「ドアのハンドルを回してみる」ときの主人公の絵、「展翅板に載っている」クジャクヤママユの描写、「紙切れを取りのけたい」と思った僕の様子、「ピンをそっと引っ張った」ときに「乾いていたので、形は崩れなかった」蝶。
括弧の言葉はすべて文中に書かれた描写です。
こういった描写から、エーミールのいる場面を頭の中に忠実に再現することが大切です。
ここで重要なことは、「場面を想像する」ことです。
よく、主人公になりきって読んでしまう人がいますが、これをやってしまうと、大きな読み間違えをしてしまう危険性があります。
大切なのは主人公になりきるのではなく、主人公がいる場面を想像すること。
ドラマの役者になるのではなく、カメラを持った監督の視点で小説を読むのです。
どういう場面に主人公が置かれていて、どういう状況だから主人公は「ある動作」をしたのか。
この視点で読めば、途端に小説文の答えが分かるようになります。
「主人公の気持ちなんて読む人によって違うやん!」という人がいますが、これはその通りです。
ただし、あくまで読者の視点。
読者の読み方は幾通りもありますが、作者が作品を作るときに込める意図は一つだけなんですよね。
小説の読解問題は、「読者としての皆さんの意見」を聞いているのではなく、「作者がそこに込めた意図」を聞いているのです。
だから、主人公になりきるのではなく、カメラを持った監督のイメージで小説文に向き合う。
国語が苦手と言う人は、このイメージで問題文に向き合ってみて下さい。