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No.419【小論文もスポーツも、練習試合の前に筋トレをしなきゃ!】

AO入試が近いということで、連日多くの生徒さんが小論文や志望理由書の書き方について聞きにきてくれます。
もちろん相談に来てくれた生徒さんに関しては文系担当の講師が分担して、責任持って書けるところまで指導はしていますが、どうしてもレギュラー授業の始まる前後の時間になってしまい、なかなか全員の添削をその場で行い、書き方のアドバイスはするのは難しい状況…
何人も同時に持ってきてくれた時は、メールアドレス宛に添削した文書を送ったりという形で対応をしていますが、どうしても添削だけでは手が回らない部分があります(みんなごめん!)
そこで今回は家庭でもできる(自分でやっておいて欲しい)小論文の練習方法を紹介したいと思います。

僕は小論文の指導をするときによく、作文のことをスポーツの練習試合と筋トレに例えます。
サッカーでもバスケットボールでも野球でもいいですが、やっぱり試合をしているときは楽しいはずです。
それに比べると地味だし、退屈だし、シンドイし…なんて思って敬遠しがち。
これは結構多くの人が思うことなのではないでしょうか?
もちろんこれは僕も同じです。
筋トレなんてやるよりも試合に出て点数を競いたい。
一方で試合結果を出すにはどうしたらいいかということを考えると、やっぱり筋トレは不可欠です。
どんなに試合にたくさん出ても、基本的なテクニックを練習しなければいつまでたっても技術は上達しませんし、筋トレを避けていてはパワーも持久力もつきません。
勝つためには、どうしてもそういった積み上げが不可欠です。

スポーツの場合、これは直感的に分かることなのですが、これが小論文になると途端にイメージが湧きづらくなってしまいます。
スポーツと同じように、小論文でも練習試合の他に筋トレが必要なことは分かったけれど、そもそも小論文における「練習試合」と「筋トレ」とは何なのでしょう。
小論文における「練習試合」は簡単で、まさに「書く」ことです。
過去問でも問題集でも構いませんが、とにかく題材を見つけて書く。
これが小論文における練習試合です。
それでは「筋トレ」は何なのか?
小論文における練習試合が書くことだとしたら、筋トレは「ネタ帳作る」ことです。
ネタ帳とは、お笑い芸人さんや作家さんが気になったことやきになったものをまとめるノートのことです。
小論文を受験で使いたいと思っている方は、ぜひこの「ネタ帳」を作ってみて欲しいのです。
ネタ帳に書く内容は①自分が気になったこと(身近なこともニュースや時事ネタも)、②面白いなと思った人の意見やアイデア、③自分が頭の中で考えていることの3つ。
一日に見開き1ページを埋めるくらいを目標に、書き溜めてみてください。
こういったネタ帳をひと月も書いていると、小論文を書こうとするときに、びっくりするくらいにアイデアや主張、主張に対する適切な具体例が思いつくようになるはずです。

小論文を添削していると、やる気は人一倍だけれど、如何せん視点が一つしかないという生徒さんをチラホラみかけます。
もちろん、同じようなテーマであればそれで構いませんが、全く違う切り口の問題が出題されたら対応できなくなってしまいます。
僕が添削をする際は、その辺を意識して様々な切り口(とその出し方)を伝えるようにしています。
ただこれは、僕がいなくても、ネタ帳を作っていればできる作業なのです。
とにかく数をこなしているのだけど、何だか伸びている気がしない。
そんな風に思っている人がいたら、ぜひネタ帳を作ってみてください。
そしてもちろん出してくれた小論文は、必ず全て添削します!
入試が迫るこの時期に焦るのは分かります。
しかし、そんなタイミングだからこそ、「筋トレ」を意識してみましょう。

No.418【秘伝!?志望理由書を書く時にはまず、◯◯を意識せよ!】

AO入試が近づき、この1週間で多くの生徒さんの志願理由書を添削しています。
僕の添削はいわゆる来週~再来週にかけての締め切りの学校も多く、みんな必死になって頑張ってくれています。
僕は志願理由書や自己PRを見る際に、まずは文章に起こさずに、出来るだけアピールしたいこと、エピソードを箇条書きにして持ってきて欲しいという話をします。
多くの生徒さんが陥りがちなエピソードありき、書きながら展開を考えるという状態を避けるためです。
自己PRはあくまで自分を知ってもらうための文章です。
だからまずは自分の中で経験や欲求といったものを徹底的に掘り下げる作業が必要になってきます。
いきなり文章を書いてきて欲しいというと、たいていの生徒さんは「う~ん」とアイデアを考えて、思いついたらそれをネタに話しを広げていきます。
もちろん、明確に頑張ってきたことがあり、その上で日頃から文章を書きなれている人ならばこのやり方でも構いませんが、この二つの条件を満たしている人は稀です。
たいていの人が「何を書こうかなあ」と悩むのではないでしょうか?
そんな悩みの中から最初に浮かんだものをPRの軸に置くのはちょっと危険。
他にもエピソードは無いのか?そもそも何をアピールしたいのか?
こういったことを一度細かに書き出してみる必要があります。

「自己PRは①コンセプト→②コンテンツ→③プロモーションの順で考えるべし!」
僕は入試関連の志願理由書を書く生徒さんに対して、上のことが鉄則だと教えています。
この順番を守らないと、何が伝えたいのか分からず、そればかりかヘタをすればせっかくのいいキャラクターでいいエピソードも持っているのにマイナスの印象を与える可能性さえ出てきてしまいます。
まずコンセプト(相手にどんなことが伝わって欲しいのか)を具体的に思い描き、次にコンテンツ(それをアピールできる可能性があるエピソードをできるだけ多く掘り下げて、その上でプロモーション(どういう順序で組み立てたら相手にもっとも伝わるか)を考えていく。
このやり方をすることで、志願理由書は何倍も相手に伝わるものになるのです。

以前志願理由書の添削をしていたら、とある「生徒さんから先生の添削は添削というより取り調べみたい」と言われたことがあります(笑)
僕の中では「取り調べ」というよりは「カウンセリング」に近いイメージなのですが、根堀り葉堀り聞かれるという意味では、確かに取り調べ的なのかもしれません。
僕が添削をする場合、しつこく「なんで?」と聞いて徹底的に話を掘り下げます。
そして何枚もの紙にその生徒さんから出てきた言葉をすべて書き出して、そこからコンセプトやエピソードを拾っていく。
「なんで?」と聞いてくれる人がいた方がやりやすいのはもちろんですが、この作業は一人でできないものではありません。
もし、志願理由書に迷っている人がいたら、ぜひ実践してみてください。
そして、上手くいきそうにないなあと思ったら、遠慮せずに僕のところに持ってきてください(できれば早めに…笑)

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No.417【成果は勉強量×定着率の面積です!】

「なんであの子はあまり勉強してへんのに私よりテストの結果がええの…?」
友達や家族に、こんな風なグチをこぼしたことがある人はいませんか。
毎年子どもたちとこういった声を耳にします。
僕はこういった悩みがある生徒さんによく、成果は勉強時間と定着率(成果=勉強時間×定着率)の掛け算で出てきた面積で決まるという話をします。
例えば、Aさんの勉強量が20で、Bさんの勉強量が15であったとすると、一見するとAさんの方が大きな成果が返ってくるように感じます。
しかし、定着率という変数を入れたとき、仮にAさんの定着率は50、Bさんの定着率が70だったとすると、出てくる結果はAさんが1000であるのに対しBさんは1050、つまり勉強量が少なくても出てくる成果は逆転してしまうのです。

誤解の無いように断っておきたいのですが、これを元に「才能がない」というようことを言いたいのではありません。
(そもそも定着率はテクニックに拠る部分が多く、意識しだいでいくらでも改善できます。)
ただ、この成果は勉強時間×定着率で表される面積だということを意識していることで、様々な戦略が立てられるので便利だよということ伝えたいのです。
たとえば、仮に目的達成のためには今から「100」単位分だけ成果を積み上げなければいけないという人がいたとします。
もしこれを勉強量だけで補おうとしたら非常に大きな労力です。
しかし、定着率の方を10伸ばせば、勉強時間も10伸ばすだけで達成できます。
また、仮に現状から定着率の方を伸ばす手段が2しかなかったとしても、それでも必要な勉強時間は半分で済むわけです。

これは、僕が生徒さんの勉強指導をする際に頭でイメージしている基本的な考え方です。
僕自身が授業をする際は徹底的に定着率にコミットするように授業を組み立てるのでもちろんですが、自分で勉強計画を立てる場合であっても、成果を勉強時間と定着率の面積ということを意識しておけば、さまざまな戦略を考えることができるようになります。
実際に生徒さんの中にはこの意識を徹底することで成績が上がった子が何人もいます。
また、この考え方を用いて成果量はそのままに勉強時間を減らすという戦略をとって上手く部活動や他科目とのバランスを取っている生徒さんもいます。
勉強を「時間」という一つの軸で考えてしまうととにかく「頑張る」という選択しか思い浮かばず、つらくなってしまいます。
こうしたシンドさを感じている人がいるのではないでしょうか?
ぜひこの考え方を実践してみてください。

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No.416【「文字を読む」と「物語を読む」の違い!?日本語=国語じゃない!】

「日本語が話せるんだから国語は大丈夫!」
国語の授業をしていると毎年こんな風にいう生徒さんと出会います。
みなさんの中にもこう思ったことがある人はいませんか?
実は、偉そうにこう言っている僕自身も、中学校時代は同じようなことを言っていました…笑
で、案の上国語が全くできない。
なぜ日本語を話しているし毎日読んでいるのに、同じ日本語で書かれた文章を題材にした問題が解けないのか?
僕がこの疑問に対する答えを持てたのは、国語を指導するようになったときでした。

「売ります。赤ん坊の靴、未使用。」
これは小説家のヘミングウェイが友人と「10個の単語を使って物語はできるか?」という勝負をしたときに作ったとされる「物語」です(日本語に訳したために10文字を超えてしまっていますが、もとの文は「For sale: baby shoes, never worn」と、たった6単語でできています)。
皆さんはこのヘミングウェイの物語を「読む」ことができますか?

僕はよく国語の授業の中で、「文字ではなく物語を読もう」という話をします。
しっかりと読んでいると思っていても、実際には文字を追いかけているだけで、その内容を理解していないということが少なくありません。
上に挙げたへミングウェイの一文はその好例です。
「売ります。赤ん坊の靴、未使用。」の文を見て、意味が分からないという人は恐らくほとんどいないでしょう。
「使ってない赤ちゃん用の靴があって、それが売られている。」
なんてことは無い、普通の情報です。
しかし、ヘミングウェイはこれを「物語」だと言っています。
単なる靴を売っている場面ではないのです。
では、ここにはどのような「物語」が描かれているのか?少しの間考えてみて下さい。

なぜ主人公は赤ちゃんの靴を持っていて、その上その靴は未使用だったのでしょう?
そして、なぜその靴は売りに出されなければならないのでしょう?
そうやって物語を考えていくと、そこには一人の女性像が浮かび上がってきませんか。
「ある街に、出産を控えた女性が幸せに暮らしていました。彼女は我が子の誕生が待ち切れなくて、これから生まれてくる子のためにさまざまな準備をしています。赤ん坊の靴はその一つ。生まれてくる我が子を思い描きながら着々と準備を進めていたのですが、いざ子どもを生んでみたら、不幸にも流産となってします。そこに残されたのは『その子』のために用意した新しい靴。今はもう自分でそれを持っていても仕方がありません。だから売りに出すことにした。その時の立て札が『売ります。赤ん坊の靴、未使用。』だった。」
ヘミングウェイはこの英語にしてたった6文字の文で、このような失意の女性を描ききっています。
これが「物語を読む」ということ。

もちろん国語の授業で求められるのは、ヘミングウェイの上の文ほど難解なものではありませんが(因みに実際に関西学院大学の小論文入試でこれが問われたことはあります!)国語の作品を読むという行為にはこういった物語を読む力が必要になってきます。
(論説文の場合はそれが「論理的な読み方」になってきます)
そしてその力は、「日常生活で日本語を使っている」だけでは絶対に身につきません。
きちんと意識して練習し、少しずつ身につけていかなければならず、それこそが国語の授業で伝えんとするところなのです。
そう考えると、日本語が話せるから国語は大丈夫なんて言えなくなりませんか?笑
国語で身につける読解の方法は、科目を超えて、もっといえば勉強という枠組みを超えて役に立つスキルです。
「文字を読むのなんてメンドい…」と思う人の気持ちも分からなくはないですが、どうせ勉強しているわけなので、せっかくならこのタイミングで正しい「読み方」を身につけてみませんか?
僕たちが全力でそのお手伝いをします!

No.415【直接触れることで勉強が「自分事」になる!】

先日、授業終わりの講師室で実体験が大切だよねという話になりました。
例えば理科であれば昆虫に触れたことがあったり、魚つりをしたことがあったり、あるいは算数ならばお母さんの買い物についていって値段を見たことがあったり、積み木などで立体に触れたことがあったりといった感じです。
こういった直接触れる経験がある場合とそうでない場合で、勉強に対するモチベーションも定着率も変わってくるというような話をしていました。
これには完全同意で、理系科目に限らず、文系科目においても「実体験をする」ということは非常に大きな効果を発揮します。

文系科目において体験しておくことの最大のメリットは、「勉強が自分事になる」という点にあります。
例えば、社会の授業で都道府県について勉強しているときに、昔家族旅行で行ったことのある土地や、おじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる土地が出てきたら、その単元は「教科書に出てくる知識」ではなく、「実際に知っているあの場所」になるわけです。
みなさんはテレビを見ていて自分の家の近所やよく行くお店が紹介されたとき、ちょっとテンションが上がったりしたことはありませんか?
それと同じで、知っているというだけで親近感が湧き、グッと勉強しようという姿勢になるのです。

また、実際に目にしたことがある場合、当然ですが教科書から得られる情報よりも自分の持っている情報量の方が多くなります。
そうなると、そこに出てきた内容は覚えなければ「未知の知識」ではなく、「既に知っていることの一部分」になります。
知らないことを教科書に載っているからという理由でとにかく覚えようとするのは苦痛です(実際にそういった勉強にはあまり効果はないでしょう)。
そうならないために、僕たちは教科書内容を少しでもリアリティを持った情報へ昇華できるように日々工夫しているわけですが、どうしても「生」の情報には及びません。
実際に経験して、自分事として知識を学んでいるときが、最も効率よく吸収できるのです。

先日、九州に用事があり、そのついでに吉野ヶ里遺跡に寄ってきました。
もちろん僕自身生徒さんに分かりやすく伝えるためにいろいろな研究はしていましたが、やはり実物から得られる情報量は圧倒的に違いました。
今はテクノロジーが発達しているので、少しでも「リアルな」吉野ヶ里遺跡を知ってもらおうと、こんなものを撮ってきてみました。
もちろん実物には及ぶべくもありませんが、少しでも情報量が伝わればと思います。

(FBにはパノラマ写真を載せました!)

https://www.facebook.com/381273632034419/posts/1020064954821947/

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No.414【勉強できる人はどんな教材からも勉強する】

これは僕がよく授業で言っていることです。
どうやれば勉強ができるようになるかといった類の質問をよくされるのですが、突き詰めたら上の言葉に尽きるというのが僕の持論です。
ここで言う「教材」とは、単に授業やテキスト、参考書を指すのではありません。
もっと広義の、生活で触れるあらゆるものを教材と呼んでいます。

以前、僕が担当するクラスでとある生徒さんがbecauseを用いた文章の訳を間違えて、「雨が降ったので家にいた」とするところを、「家にいたので雨が降った」と訳していました。
僕はそれに対して、引きこもって天候を変えられるのは天照大神(記の中で、雨の岩戸という場所に隠れてしまったために世界が真っ暗になったと記されています)くらいだと、わざと分かりにくいツッコミをしたのですが、その時、殆どの生徒さんが「それ知ってる!」と言ってくれました。
モンスターストライクというスマホのゲームで天照大神をモデルにしたキャラクターが登場して、その攻略サイトにあらすじが書いてあって覚えていたのだそう(笑)

それ以降面白くて、授業に関連する例を挙げる際に、ちょくちょくそのゲームでテーマになった神話や伝説から引用して話をしたりするのですが、そのクラスの生徒さんたちはそれらのほとんどを知っていました。
彼らはスマホのゲームという「教材」を通して、様々な知識を学んでいたのです。

僕は、勉強ができるか否かの最大の分岐点はこの「どんな教材からも学べる能力があるか」にかかっていると考えています。
もちろんいい教材はありますが、それらが成果に与える影響よりも、当人の「どんな教材からも学べる能力」の方が、ずっと影響は大きいように思います。
「いい教材を使ったから成績が上がる」のではなく、「どんな教材からも学べる人がいい教材を使っている」から成績がしっかり伸びるのです。

「どんな教材からも学べる能力」が先天的なものであるかといえば、決してそんなことはありません。
むしろ、今まで多くの生徒さんと触れ合ってきた経験から言えば、この力は後天的に身につくものであるように思います。
では、この力を身につけるためにどうしたらいいのか?
僕はその答えはあらゆる行動に対してよく見る、よく考えるを徹底するということに尽きると考えています。
勉強はもちろんですが、それ以外の友達と会話しているときも、一緒に遊んでいるときも、極端な話通学中や食事中もよく観察して、よく思考する。
そういう姿勢が当たり前になることが、もっとも有効な手段であるように思います。

あらゆる場面で対象物をよく見て、現象についてよく考える習慣がつくと、体験した全てが学びの「教材」になります。
虫取りをした時によく虫を見ていれば、理科の生物の授業で役に立つでしょうし、ニュースを見て何だろうと考えていれば、社会の授業の思わぬ知識に繋がるかもしれません。
あるいはキャッチボールをしている時に見たボールの描く放物線が数学の二次関数に繋がる可能性だってあります。
こう言ったものに対して無意識にアンテナが働く人とそうでない人で、どちらが勉強で結果が出やすいかというのは、論じるまでもないですよね?

成績を伸ばしたいと思った時に取ることができる行動は、何も「机に向かって勉強する」ばかりではありません。
そんなもの、学校や部活動で忙しい皆さんにとって、どうやったって物理的に数時間が限界です。
しかし、生活そのものが「教材」になれば、寝ている時以外のほとんど全てから学べます。
直感的に分かりづらいかもしれませんが、こうした無意識の学びの積み上げこそが、問題を解く際の何気ない気づきに繋がるのです。
(もちろん試験が直近に迫っている人はその限りではありませんが)勉強をしなきゃと思って、必死に参考書をめくっている人は一度、自分の「学ぶ力」を振り返って見てください。
そして、勉強の中でのみ集中するのではなく、あらゆる場面に目を凝らして、頭を働かせてみる。
きっと、そうやって2ヶ月も生活していると、目に見えて勉強効率に変化が現れるはずです。
騙されたと思って試して見て下さい!

No.413【大学入試国語の知識問題は、中学入試の問題集がオススメ!】

夏休みが終わり、多くの学校で来週から2学期の授業が始まります。
一つの節目ということで、このタイミングで勉強計画を練り直している生徒さんが多く、今週だけで何人もの子から、国語の勉強計画についてのアドバイスを求められました。
その中で案外多かったのが四字熟語やことわざのような知識問題の勉強法です。
僕は大学入試で出題される知識問題において、試験対策としての最も効果的な方法は「中学入試の問題集」を活用することだと思っています。
突き詰めれば知識さえ覚えることができればいいので、前提としてどんな問題集でも構わないと思っています。
ただ、その中で少しでも効率的に覚えたいと思うのであれば、その分野に関して最も研究が進んだ教材を使うのがいいと思うのです。
四字熟語やことわざをはじめとする知識問題の研究が最も進んでいるのは中学入試です。
中学入試における知識問題の比重が大きなことはもちろんですが、それ以上に大学入試と比べ、研究対象となる学校の数が少ないことと、受験者数が少なく(平成30年度の大学入試センター試験受験者が約58万人に対し、中学入試は全体で約6万人)一人あたりの満足度の比重が高いため、教材研究の密度が非常に高くなるのです。

大学入試の場合、膨大な数の大学がその学校独自に問題を作るため、中には受験者のほとんどが解けないような超難問が出題されることもあります。
そうした問題に出会ったとき、自信をもって解けなくてもいいと判断できる知識を身につけておかなければなりません。
そのためには、それぞれの知識の重要度合いがわかる教材が不可欠です。
大学入試において、ことわざ等の知識問題は必ずしも多くの学校で聞かれるわけではありません。
そのため、教材開発全体に占める国語の知識問題(ここでは漢字を除く故事成語等を指します)の重要度はどうしても低くなります。
一方で中学入試では語彙が問われることが多く、研究もされているため体系化が進んでいます。
知識問題は学年ごとに「どこまで覚える」というものが(明確に)定まっているものではないので、「必要最低限度」を押さえるのに非常に有効な教材といえるのです。

知識問題攻略のコツは「必要最低限度」を抑えることです。
深く突き詰めようとするとおもわぬ「沼」にはまりかねません。
そのことに注意して、確実な得点源にできるように頑張って下さい。