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ほぼ日刊、SEED君のひとりごと

京都府西京区阪急桂駅前の学習塾、シードゼミのブログです。Facebookで更新しているコラムを転載しております。

阪急桂駅徒歩1分!京都市西京区に根ざして15年。地域密着だからこそできる、ひとりひとりににあわせたきめ細やかな指導が自慢です!

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過去問演習の効果は吟味しよう

2016/11/17

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高校3年生をみていると、過去問演習に手を出し始めている人が少しずつ増えてきたように思います。
もちろん過去問の演習は大切ですが、その意義をしっかりと把握しておかなければこの大切な時期に時間を無駄に使う可能性が出てきます。
そもそも、過去問演習をすると点数が伸びるのは、主に問題に対する「慣れ」であり、問題を解くことで新たな実力がついているわけではありません。
したがって、過去問演習によって伸びる点数には限界があるのです。
僕の経験ではその数値は最大でも10%くらい。
どんなに過去問を必死に解こうが、そもそもの知識量が足りていなければ、合格圏に達することはできません。
下の図の赤色で示した山ように、入試問題は基本的な知識から時には高校までの学習範囲を超えたものまでがランダムに並んでいます。
それに対して知識は黄色枠で示したものであり、勉強によって長方形の面積を伸ばしていきます。
過去問演習によって伸びる実力は青い四角で、この黄色と青色の組み合わせで合格基準の値を突破していれば合格となります。
さて、それではどのような場合に過去問演習が有効なのでしょうか。
3パターンの典型例を用意してみました。
合格に必要な点数は黒線で示した65%のラインとします。
①のように実力が全体20%の人は完全に実力不足。
仮に問題演習を通じて+10%の実力を身につけたとしても到底合格ラインには及びません。
反対に③のように実力が合格ラインを超えている場合も過去問演習は無意味です。
そもそも受けに行けば受かるだけの実力が備わっているから。
過去問演習が効果的なのは②のパターンだけなのです。
もちろん第一志望の学校に照準を合わせての過去問演習であるのなら必ずしも無意味とは言いませんが、本命ではない学校の公募推薦などでそれを行うのは得策とは言えません。
自分が今過去問を解くべきなのか、それともまだ知識を定着させなければならないのか。
その見極めを誤らないようにして下さい。

目にみえるもの、みえないもの。

2017/11/15

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「この歌に歌われているような光景は、現代に生きる私たちも目にすることができますが、もしこの歌の意味を知らないままそれを見たらどうなるでしょう。たとえ目では見ていても、もしかしたらその光景は心にとどまらないかもしれません。この歌に出会うことによって、私たちは新たな月の美しさに触れ、それに向かい合ったときの私たち自身の心のありように気づくことができるのです。」
中学1年生の国語の教科書に出てくる「月に思う」の一部分です。
先週の授業で、ある生徒さんからここの意味が分からないと言われて、いい部分を指摘してくれたなと思ったので、ちょっと取り上げてみることにしました。

まず大前提として、僕たちは知らなければ見ることができません。
「目に映っているのだから何でも見ることができる」なんて反論が返ってきそうですが、「目に映る」と「認識する」というのは違います。
たとえば、同じゲームのディスプレイを見ていたとしても、そのゲームについて全く知らない僕が画面に映るキャラクターをみても、「かっこいい」くらいの印象しか残らないかもしれません。
しかし、そのゲームをやりこんでいる人が見たら、それだけ貴重なキャラクターであるのか、そんな使い方ができるのか、そういった様々な情報まで「見る」ことができます。
同じものを見ていたとしても、それに関して知っているのとそうでないのとでは、感じ取ることのできる情報は全く違うのです。
これが「月に思う」で作者が言わんとしていること。
それを踏まえてもう一度下の文を呼んでみると、文の「見え」かたが違うのではないでしょうか。
「たとえ目では見ていても、もしかしたらその光景は心にとどまらないかもしれません。この歌に出会うことによって~気づくことができるのです。」

カイユボットというフランスの画家がいます。
彼の作品の一つ「パリの通り、雨」という作品は「月に思う」で指摘されていることが絵画の世界で表現されています。
http://www.salvastyle.com/menu_impre…/caillebotte_pluie.html
この作品は、雨の日のパリが描かれているのですが、「雨」だけは描かれていません。
もちろん描き忘れなんてことではなく、作者にとって「雨」は見えていなかったのです。
冒頭で話した生徒さんの質問に対して、僕は「雨の日の絵を描いてみて」と言いました。
すると彼は迷わずに傘をさした人、と、細い線を縦に引いて「雨」を表現しました。
「雨を描け」と言われれば、殆どの人が彼のように雨を表現すると思います。
さてここで疑問が浮かびあがります。
はたして本当に雨は「細い線」なのでしょうか?
実際の雨は粒が空から降ってきているわけなので、一本の線ではありません。
しかし僕たちは雨を描けといわれればそう描くし、実際に雨がそのように見えていると考えています。
この「そう見える」というのがポイントなのです。
画面に細い縦線を並べると雨を表現できるという技法が使われたのは、実は浮世絵が世界初めてです。
カイユボットがこの作品を描いたのはヨーロッパに浮世絵が広まる少し前のことです。
だからカイユボットは「見た」ままに雨の日のパリの通りの風景を描いた。
それまでは「雨が線で見える」という認識そのものがなかったのです。

「芸術のいいところは作者の発見した『美しい』っていう発見を僕たちに共有してくれるところにある」
漫画家の山田玲司先生がこんな風に言っていました。
絵画や歌といった昔の芸術作品を味わう楽しさは、まさにここにあるのだと思います。
そして「月に思う」で言われているのはまさにこのこと。
「知らなければ見ることができない」という意味、なんとなく分かっていただけたでしょうか?

因みにカイユボットのこの作品、レプリカが難波駅に飾ってあります。
興味のある人は是非見に行ってみて下さい!

勉強を関数で表すと

2016/11/13

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僕は受験勉強とは、つきつめると下の指数関数で表すことでできると考えています。
[x]は勉強にかけた時間で、[a]は効率や定着している基礎知識量、そして[b]は受験勉強を意識し始めるまでに蓄えた勉強量と本人がもともと持っている能力(ポテンシャル)です。
これらによって表される関数で、yの値が合格圏を越えることを目指す。
これが受験勉強だと思っています。
受験勉強は大きく[a]の値を大きくする作業と[x]の値を増やす作業の二つがあり、前者をインプット、後者をアウトプットと呼びます。
[x]の値に関しては、試験日が定まっている以上勉強を始めた段階である程度最大値が定まります。
したがっていかに[a]の値を大きくしていくかが非常に重要になってきます。
しかも、受験勉強を始めるのが遅ければ遅いほどその重要度は高い。
焦って必死に問題演習をするけれど、結局実力が思うように伸びないという子が多く出るのは、ここに原因があるのです。
そもそも勉強というと[x]を増やすということしかないと思っている人も少なくありません。
時間がない人ほど、[a]を大きくするという勉強があることを認識することが大切なのです。
もちろん、[a]の値ばかりを大きくしても、実際に[x]を増やさなければ、最終的に合格に必要な値[y]に到達することはできません。
[a]と[x]を同時に増やしていくという意識が大切です。
この両方を大きくするために必要なことが、両者の勉強法が目的も手段も明確に違うということを認識することです。
「今自分はどちらの勉強をしているのか」「両方のバランスはどうなのか」
これを常に意識するようになると成績は伸び始めます。
勉強の効率を上げたいという人は、このことを意識してみて下さい。

東京五輪のときに、東京にいるという選択

2016/11/12

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僕は基本的に大学の進路相談に乗るとき、下宿は勧めません。
京都市という立地を考えたとき、他の地域に住む人よりも、圧倒的に立地面で優れているからです。
仮に京都市からの通学可能圏を京都・大阪としたとき、選択肢のとなる大学は全部で86校あります。
これは東京についで2番目の多さです(因みに大阪単体だと全国2位、京都単体だと全国7位です。
全国的に見ても、これだけ豊富な選択肢がそろっていることは稀。
だからよほどやりたいことがある場合を除いて、わざわざ下宿という選択肢を選ぶ必要は無いように思うのです。
ただし、今の高校2年生に関してはちょっと事情が違います。
来年受験生になる彼らには、選択肢として「東京の大学」を提案しようかと思っています。

2020年に東京オリンピックが開催されます。
今の高校2年生がちょうど大学3回生になるときです。
単に東京に住んでいるというだけでオリンピックを経験できるというのはもちろんですが、それに付随する各種ボランティアや活動に関わるチャンスが圧倒的に多くなるはずです。
一生に一度経験できるかどうかの国をあげた一大イベントです。
それを中心地で経験できるというのは、将来への投資として、かなりオイシイ出来事だと思います。
また、「3回生で経験できる」というのもポイントです。
就活という実利面で活かすこともできるからです。
たとえば、3回生でオリンピックを経験するとしたら、2回生の前期で留学をして語学を身に付けておくというような、さまざまな準備が可能です。
留学の審査などを考えると1、2回生だとちょっと間に合わないし、4回生になってからでは遅すぎる。
一生に何回とできない経験ができ、且つ就活などの実利面にも活かせるということを考えたら、3回生でオリンピックを経験するというのがベストなのです(笑)

そんなわけで普段は近畿から出るという選択肢を勧めない僕ですが、来年だけはちょっとスタンスを変えていこうと思います。
もちろん「やりたいこと」という視点で大学を選ぶことも大切ですが、もっとマクロな視点で「そこでしかできないこと」や「そのときにしかできないこと」を考えてみるのもいいかもしれません。
せっかくのオリンピックというタイミングです。
単に「お祭りごとがあるなあ」ではなく、そのタイミングでどこにいたら一番有効利用できるだろうという、ある意味で「打算的な」考えでいることも大切かもしれません。
チャンスが巡ってくるのは全くの偶然ですが、自ら動くことでその「偶然」に出会う回数を増やすことは可能です。
選択肢の一つとして、「東京の大学」はいかがでしょうか?

成績を伸ばすのに不可欠なコスト意識を身につける

2016/11/12

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本日はコスト意識についてのお話です。
言うまでもなく、僕たちが持っている一日あたりの時間は限られています。
趣味に勉強に睡眠にと、僕たちは24時間を上手く割り振らなければなりません。
そのため、勉強をするに当たっては、どのくらいの時間を勉強に割くことができるのか、その全体イメージを取っておくことが不可欠です。
僕はこれを、「勉強時間のコスト計算」と呼んでいます。
このコストの産出方法には、①積み上げ型と②予算割り振り型の二つの方法があります。
①の積み上げ型とは、目標達成までには各科目に一日あたりどのくらいの勉強両が必要かを積み上げていって、最終的にでた合計値を自分の生活時間の中から確保するという方法です。
それぞれの科目の課題に対して十分な時間を割り当てることができるため、着実なスキルアップが望めます。
反対に積み上げ方の勉強では、やるべきことが多すぎると、一日にこなせる分量を超えてしまう場合があります。
仮に積み上げた勉強時間が8時間だったとして、学校に8時間、睡眠に8時間、そしてもろもろの準備や移動時間が2時間かかるとしたら、物理的にこなすことは不可能です。
積み上げ型のコスト計算が有効なのは、長期休暇や受験までに時間があり、やるべきことにゆとりがある場合です。
大きな効果が期待できる半面、やることが増える直前期にはあまりオススメできない方法といえるでしょう。
受験の追い込み期や、普段の生活が忙しいという人に有効なのが②の予算割り振り型の勉強です。
これは、予め自分の生活スケジュールの中から勉強に当てる時間を確保しておき、その時間を各科目に割り振っていくという方法です。
限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを発揮することができます。
忙しい中でもっとも重要なことは、限られた時間の中で抜け・漏れを作らないこと。
そのためにはこの予算割り振り型のコスト意識が重要なのです。
勉強はがむしゃらにやって効果がでるものではありません。
しっかりとした計画の下、適切な努力を投下するからこそ、結果が得られるのです。
結果を出すことの第一歩となるのがこの「コスト意識」です。
積み上げ型でも予算割り振り型でも自分にあったほうで構いませんので、必ずコスト意識は持つようにしましょう。

勉強を線で捉えよう!

2016/11/10

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「振り返ったとき、一つに繋がる人生を」
ジョブズが残したこの言葉は、生きる上で示唆に富んだ名言であることは間違いありませんが、一方で、それは行く先の定まらない場合に効くものでもあるように思います。
歩むべき道が明確である場合、点をばらばらに集めていくのではなく、キチンと線を見据えて行動することが大切であるように思うのです。

公募推薦が近づいてきました。
自分の受ける学校にあわせた勉強に必死の生徒さんをチラホラみかけます。
もちろん目前に迫った受験に向けてベストを尽くすのは当然ですが、そこの勉強に全力になるのは少し違います。
多くの子が、公募推薦を滑り止め、そこで進路を確保した上で本命と考えているようです。
その場合、本当に目の前の推薦入試に全力でいいのでしょうか?
あくまで目標はその先の第一志望の学校であって、公募推薦は通過すべき「点」に過ぎません。
ここで全ての勉強を公募推薦受験科目にあわせ(多くの場合が一般入試より科目数は少ないです)、その学校の傾向に特化した勉強を始めてしまえば、仮に公募推薦に受かることができたとしても、その先の第一志望の学校に合格する可能性は限りなくゼロになってしまいます。
だって、そのための勉強を一旦やめてしまっているのですから。
あくまで公募推薦で受ける学校は目標に続く線上で捉えなければなりません。

また、推薦で受ける学校が第一志望の学校であるという場合も同じです。
「全力で試験に臨みたい」といえば聞こえはいいですが、あくまで公募推薦入試は長い受験戦略の中の一つの選択肢なんですよね。
一つ目の選択肢に全力を注ぐというのは、いわばマラソンの最初の500mで全力疾走をするようなもの。
受かれば良いですが万が一落ちたとき、そこでその子の受験は終わりです。
目の前のハードルに向けて毎回全力で戦うというのは、定期テストのやり方。
テストの難易度が自分のキャパシティのうちに収まる場合にしか通じない戦略です。
受験は積み立て型です。
どのような入試の戦略にせよ、目の前の試験のことしか目に入らないというのはちょっと危険です。
点ではなく、線で見てください。

結果と評価は分けて考える

2016/11/08

自己PRの相談を受けたとき、まず一度、生徒さんが失敗だと思っていることを一通り聞き出すようにしています。
その人らしいPRポイントは、本人が失敗と思っている場所にこそ潜んでいる場合が多いからです。
部活動でベスト8、部長、応援団長etc…
自己PRというと、どうしても自分らしい「結果」を残したことを探しがちです。
しかし自己PRで聞かれているのは、そういった輝かしい「結果」の部分ではないんですよね。
そうではなくて、求められているのはその人がどういう人なのかがわかるエピソードや結果までの道のりです。
「結果」が凄い必要なんてないのです。
むしろ凄い結果なんて、だいたいが似たり寄ったりで、結果を押し出せば押し出すほど、自分らしさは見えなくなってしまいます。
それに対して同じ失敗経験を持っている人はほとんどいません。
というかそもそも、失敗経験なんていうのは「本人がそう判断しているだけ」であって、見方を変えれば大きな魅力を秘めたPRポイントであるばあいも少なくありません。
ある「結果」を失敗とするのは、本人の判断です。
「結果」そのものには失敗も成功もありません。
例えば「部活動を途中でやめた」という結果を持っている人がいるとして、大半の生徒さんはそれを「失敗」と捉えています。
しかし、何を以ってこれを失敗と判断しているのでしょうか?
「部活動を途中でやめた」というのは単なる「選択」であり、それ自体に良いも悪いもありません。
そこに価値をつけるのは、自分たちの基準です。
仮に継続力をアピールしたいという基準で「部活動を途中でやめた」という選択に「評価」を加えれば、確かにマイナスになるでしょう。
しかし、家計を支えるためにバイトを始めたというのならその評価は全く別のものになります。
或いは高校では勉強を頑張ると約束して私立高校に入れてもらったのに、高校では勉強そっちのけで部活にハマって10月過ぎまで試合に出ていましたなんていうのは、完全にマイナスです。
こんな風に、ある現象にどういう評価を下すかは、見方次第なのです。
それならば、誰もがかけるようなありきたりな経験よりも、自分にしかない経験からエピソードを掘り下げたほうが、自己PRは書きやすいですよね。
どんな凄いエピソードがあったかではなく、些細なエピソードをどういう視点で切り取るか。
自己PRで悩んでいる人は、この視点で考えてみてください。